イソニトリル(R–NC)は、ニトリル(R–CN)の構造異性体です。非常に単純な構造ですが、ニトリルとは全く異なる性質を示します。たとえば、アセトニトリル(MeCN)は有機溶媒の代表格であり、有機合成における反応溶媒であったり、高速液体クロマトグラフ(HPLC)の移動相に用いられたりします。一方、その構造異性体であるメチルイソニトリル(MeNC)はアセトニトリル とは全く異なる性質を示します。特徴的な性質として有名なのはその強烈な悪臭です。思わず鼻を摘みたくなるような、苦く耐えがたいにおいを発します。しかし有機合成化学においては、非常に有用な試薬として知られています。イソニトリルの炭素末端は一酸化炭素と同じような電子状態であり、2種類の異なる試薬と同時に反応し、複雑な構造を一気に作ることができます。最近では医薬品、農薬などに使われるペプチドやヘテロ環化合物、有機ELなどに使われるヘテロ芳香環化合物などを幅広く作り上げるための原料として注目されています。
このように幅広い用途のあるイソニトリルではあるのですが、イソニトリルそのものを合成しようとすると極めて限られた方法しかありません。具体的には、N-ホルムアミドという化合物を脱水剤により脱水することで得られることが知られており、現在、イソニトリルを合成するための唯一の方法として実用されています(図9−1a)。しかし、イソニトリルが不安定な化合物であることから、合成途中、あるいは、精製する段階で容易に分解してしまい、実際に実用的な方法であるかというとそうとも言えないのが現状です。わたしたちはこのイソニトリルをどうやって合成するか、という観点から反応開発に取り組んできました。
わたしたちが着目したのは、「分子にイソシアノ基(-NC)を直接くっつける」という方法です(図9−1b)。シアニド(CN)は、有機合成でよく用いられる求核剤ですが、炭素、窒素の両末端に非共有電子対があるためどちらからでも反応します。このような化学種のことを「アンビデント」と呼びます。このアンビデントの反応性をうまくコントロールし、シアニドをNから反応させることができれば、イソニトリルを合成することができます。